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福岡高等裁判所 昭和53年(行コ)26号 判決

控訴人

茅嶋洋一

右訴訟代理人

有馬毅

美奈川成章

高森浩

崎間昌一郎

熊本典道

被控訴人

福岡県教育委員会

右代表者

田中耕介

右訴訟代理人

植田夏樹

堀家嘉郎

俵正市

秋山昭八

山田敦生

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

(当事者の求める裁判)

控訴人は、「原判決中控訴人に関する部分を取り消す。被控訴人が控訴人に対し昭和四五年六月六日付でなした懲戒免職処分を取り消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文同旨の判決を求めた。〈以下、省略〉

理由

第一、本件処分に至る経緯等

一  控訴人の経歴

〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

控訴人(昭和一六年一一月二五日生)は、昭和四一年三月早稲田大学第一文学部哲学科(東洋哲学専修)を卒業し、同年四月から伝習館高校教諭として勤務し、本件処分に至るまで主として社会科の倫理社会及び政治経済を担当し、年度により時に日本史、地理、世界史を一部担当していた。

二  本件処分に至る経緯

〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

1伝習館高校は、旧立花藩の藩校の名を継承し、旧制中学以来福岡県下でも古い歴史をもつ学校の一つであり、新制高校として発足後も名門校あるいは大学受験における受験校としてある程度の実績を有していた。

2伝習館高校を含む大部分の福岡県立高等学校においては、昭和四二年度頃まで事実上職員会議が校務運営を最高決議機関として決定するという校務運営規定を有し、校長がこれを承認するという校務運営がなされ、新任の校長任命もほとんど福岡県高等学校教職員組合の推せんする者又は承認する者を被控訴人である福岡県教育委員会において任命するということが行われていた。

ところが、右職員会議の最高議決機関制や校長推せん制に疑問を持つた県教委が昭和四三年四月大部分高教組の推せんのない者を新任校長に任命したため、高教組は、その新任校長の着任拒否闘争を行い、そのため同年七月右闘争参加教諭に対する懲戒処分があつた。また、同年一〇月八日、昭和四四年一一月一三日には高教組の人事院勧告完全実施等を要求する休暇闘争が行われ、その参加者に対する懲戒処分があつた。

伝習館高校長内田康男は、昭和四三年四月福岡県立久留米盲学校長から着任したが、新任校長ではなかつたため右着任拒否闘争の対象とはならなかつたものの、前記のような状況から、着任後本件処分に至るまで、内田校長と個々の同校教諭との話合いは高教組役員を通じてするといつた状態で、その間の意思の疎通を欠き、校長の充分な指導監督ができない状況であつた。

3内田校長は、昭和四四年一学期末頃教諭の一部において教科書を離れた授業を行い、控訴人及び山口重人教諭が成績評価について一律評価をしていることを他の教諭から聞き、その頃の職員会議の席上、授業は教科書を基本にして行うべきであると注意を促し、一律評価については二学期始頃三小田英治教務部長等に本人に注意するよう依頼した。また、同年一一月中旬頃職員会議で自習時間が多く、かつ自習時間には課題を出すことになつているのにこれをしていない教諭がいるので、そのようなことのないよう注意し、同年二学期末頃前記一律評価についても職員会議で注意した。

4被控訴人の事務局である福岡県教育庁教育次長瓜生二成は、昭和四四年一一月頃伝習館高校においては控訴人、半田隆夫、山口重人、箱田尚敬各教諭について、授業に自習時間が多く困つているので、調査の上指導措置をすべきではないかとの匿名の投書及び電話を受け、教育長吉久勝美に報告し、右四名を重点として伝習館高校教職員の服務の実態を調査することとした。

そして、同庁の人事管理主事斉藤進及び西尾、北村、前田各主事は、同年一二月七日(日曜日)伝習館高校において前記教諭四名の服務状況の調査を行つた。当日には、斉藤主事の事務連絡により内田校長、石橋敏男教頭、小川事務長、三小田教務部長、石橋昭男生徒部長が立会つた。内田校長らは、校長に調査報告を求めず、直接調査に来校したことに難色を示したが、斉藤主事らは、教育次長の命令によるものであり、また同年六月小倉工業高校でも自習時間が著しく多いことが取り上げられて調査したことがあることを説明して協力方を要請した結果、調査がなされた。

その調査の内容は、前記四教諭の一〇月及び一一月中の服務状況に主眼が置かれ、調査資料は、出勤簿、出張命令簿、行事予定表、時間割、服務関係整理簿、教務日誌、学級日誌等に及んだ。その結果は、小倉工業高校の場合ほど自習時間が多くなく、自習時間自体としてはさして問題とすることはないというもので、教育庁としては、直ちに結論を出さず、しばらく静観することとなつた。

5ところで、伝習館高校においては、翌一二月八日職員会議が開催され、その席上校長及び教頭から前日の教育庁職員による調査の概要を説明し、また一部教諭はホームルーム等を利用して右調査を生徒に知らせた。

ところが、同月二四日二学期の終業式の際、内田校長は、生徒から右調査は教育庁による不当な介入であるか否かなど五項目にわたる質問を出され、所見を求められたが、即答を避け、来る一月八日の始業式の際全校生徒に対しその見解を表明することを約束した。

昭和四五年一月七日開催された職員会議では、教育庁の前記調査は手続的に校長に報告を求めることなく直接調査したこと、実体的にも教育内容ことに学級日誌まで調査したことは教育庁の不当な介入であるとの意見が多数を占め、結局右調査は教育庁による不当な介入であると決議した。

翌一月八日内田校長は、右決議に則り始業式において全生徒に対し右決議の趣旨を述べた。そして、その後開催された職員会議で内田校長は一月一六日に再度生徒に対する説明会と各教諭の意見発表を行うことを約束した。

右始業式後、始業式における校長の発言と一月一六日開催予定の説明会のことが教育庁の知るところとなり、瓜生次長は、内田校長を教育庁に呼び、始業式における発言の取消、一六日の説明会の中止等を説得したが、一月一六日の説明会は開催された。

6伝習館高校の教諭有志は、昭和四五年二月一一日の建国記念の日に生徒らも参加しての建国記念の日についての討論会を企画し、同月一〇日午後四時頃から控訴人、深見、荒尾、箱田各教諭が同校内において生徒らに「国家幻想の破砕を」と題し翌日の登校と討論会を呼びかける別紙四記載のビラを配布し、翌一一日同校会議室において控訴人、箱田、今岡、石橋保一各教諭、生徒約五〇名が参加して討論会が開催された。

7その後、同年二月中旬頃「柳川伝習館高校を守る会」準備委員会在東京委員会という名義の同月一〇日付の作成者不明の二月アピールと題する文書(乙第三〇号証、以下「二月アピール」という。)が福岡県教育庁関係者、伝習館高校の教諭、父兄、同窓生らに対し多数郵送された。その記載内容は多岐にわたるが、控訴人はいわゆる三派系造反教諭であるとし、同人を先頭に半田隆夫、山口重人、箱田、深見各教諭を中心に勢力を拡張しつゝあるとして、同人らの学校内外での具体的言動なるものが列挙されていた。

右二月アピールに対抗して、同窓会有志名義で「伝習館を支持する会」なるものも結成され、右五教諭を擁護するビラを配布し、以後双方から数多くの文書が配布された。

右二月アピールを契機として、伝習館高校の教諭、生徒を含む学内は動揺し、右五教諭はこれに反発した。

そこで、瓜生次長は、内田校長に対し右二月アピール記載内容の真相を確めるべく報告を求めたが、その報告によつても判然とせず要領を得なかつた。

8このような学内動揺のうちに伝習館高校は同年三月一日卒業式を迎えた。ところが、右卒業式において県教育長代理の中島学校教育課長が告辞の朗読を始めるや一部の生徒が「拒否」と書かれた横幕を掲げ、ヤジを飛ばし、校歌斉唱のとき労働歌をうたうなどして、式場は騒然となつた。

9更に、同年三月六、七日の両日福岡県議会が開催された際、山下、有田両県議会議員が、伝習館高校に関する諸問題について質問し、吉久教育長は、これに対し二月アピールの真相、卒業式の混乱等についてはその調査結果をまつて必要な措置をとること、学校の管理運営及び生徒指導の適正化についても必要な措置をとること等を回答した。

10そこで、教育庁の森教職員課々長補佐、大鶴英雄、大平、古川、大六野勤、安倍徹の各職員は、同年三月一七日(春休み)に伝習館高校において第二回目の調査を行つた。調査の目的は、同校における教育計面の実施状況、教師の服務の実態、前記二月アピール記載内容の真相、卒業式混乱の責任等を中心とするものであつた。同日の調査には高教組本部書記長、伝習館分会長ら数名の組合役員が立会した。組会役員らの調査に対する抗議等の影響もあつて、同日午前中は調査が進まず、午後一時頃から午後六時三〇分頃まで提出書類等の調査を行つたが、学級日誌、成績評価表、伝習新聞等が提出されなかつた関係もあつて、同日の調査は不十分な結果に終つた。

教育庁は、伝習館高校へ出向いての調査は円滑な調査が困難であると判断し、その後、内田校長から関係諸帳簿の提出を得て、分析調査を行つた。その提出書類は、これまで調査した書類のほか伝習新聞、クラブ活動関係書類、試験問題、成績評価表等であつたが、学級日誌は四月になつて同校田中栄教諭らを通じて約五冊が提出された。

以上により、教育庁においては、同校教諭の教育活動に問題があることが認められたが、結局直接授業を受けた生徒又は卒業生についてその状況を確認する必要があるということになつた。

11ところで、前記伝習館高校田中栄教諭(化学担当)は、昭和四四年一一月一三日の休暇闘争直前の同月上旬高教組を脱退したものであり、昭和四五年一月及び四月半田隆夫教諭に対し高教組脱退をすゝめたこともあつたが、同年二月上旬教育庁瓜生次長から控訴人の行動についての調査協力方の要請を受けてこれを承諾していたことから、控訴人が同月一〇日に配布したビラを翌一一日に瓜生次長に届け、更に、前記のとおり学級日誌を教育庁に届け、後記の教育庁の生徒等の調査に協力した。

12そして、教育庁の前記森、大鶴、安倍の各職員は、同年四月二一日から二三日までの三日間柳川市において、主として前記田中教諭の紹介によりその担任学級の生徒又は卒業生約一〇名を中心として、控訴人、半田隆夫、山口重人各教諭の教科書使用実態、試験問題等教育活動全般について事情聴取した。

更に、教育庁の斉藤進、大鶴英雄、村上修一、今宮昌成、安倍徹の各職員は、同年五月一三日から一六日までの四日間柳川市において右同様に生徒、卒業生、父兄等約一五名から事情聴取した。

13右二回の調査結果は、同年五月一〇日付の右森、大鶴、斉藤、村上、今宮、安倍連名の報告書で吉久教育長に報告され、吉久教育長はこれらに基いて被控訴人である県教委に対し、控訴人、半田隆夫、山口重人教諭の懲戒免職処分の提案をし、被控訴人は同年六月六日控訴人、半田隆夫、山口重人教諭を懲戒免職した。

これより先、被控訴人は、同年六月一日内田校長を所属職員に対する適切な指導監督を怠つたとして減給処分にし、同校長は翌二日退職した。

14そして、控訴人に対する処分説明書によれば、処分の理由は、「被処分者は、昭和四三年四月以降再三にわたり、学校新聞等に現体制を否定するなどの特定思想を生徒に啓蒙する文章を寄稿掲載し、さらに、同四五年二月一〇日には勤務時間中校内において伝習館教師集団有志名義の「国家幻想の破砕を」と題する文書を作成して生徒に配布し、建国記念の日を否定する趣旨の呼びかけを行うなど、生徒に対し特定思想の鼓吹を図つた。また、昭和四二年度、同四三年度および同四四年度の担当科目の授業において、所定の教科書を使用せず、かつ同四四年度における生徒の成績評価に関して、所定の考査を実施せず、一律の評価を行つた。これらの行為は、職務上の義務に違反し、職務を怠つたものである。」というのであり、根拠法令として、地方公務員法(以下「地公法」という。)二九条一項に当るとしている。

第二  本件処分事由の主張

被控訴人は、本訴において右本件処分について、事実摘示のとおり、控訴人には大要次のような処分事由があり、これに対する法令の適用は次のとおりであると主張する。

一  処分事由

1特別教育活動である演劇部主任として、昭和四三年一〇月五日及び六日公演の「雨は涙か溜め息か」なる演劇のパンフレットに別紙一の「夢幻の呪詛」と題する一文を寄稿して掲載させ、これは生徒全員に配布されたが、右一文は、演劇は革命を演出するものであり、革命とは現実の体制を精神的、制度的に破壊することであると生徒に受け取られるものである。

2特別教育活動である新聞部の顧問であつたところ、同部発行の伝習新聞第一〇〇号(昭和四四年四月九日発行)に別紙二の「老いているであろう新入生諸君」と題する一文を、同第一〇三号(昭和四四年六月三日発行)に別紙三の「想像力が権力を奪う」と題する一文を寄稿して掲載させたが、前者の一文には、高校生活に期待をもつて入学してきた新入生に対し高校教師としてふさわしくない非教育的言辞が羅列されており、後者の一文には、革命をすすめ法律を破り、暴力や学校破壊を奨励する言辞が羅列されている。

3(1)昭和四五年二月一〇日勤務時間中に伝習館高校図書館において「国家幻想の破砕を」と題する別紙四のビラを作成、印刷し、同日午後四時ごろ同校内において自ら生徒らに配布し、(2)翌一一日休業日であるのに、校長の許可を受けることなく、生徒を登校させ、同校内で建国記念の日否定などのための討論会を開催した。

4担当の昭和四三、四四年度の倫理社会(二年生)政治経済(三年生)の授業において、所定の教科書を使用しなかつた。

5(1)  担当の昭和四三年度三年生の三学期の政治経済の授業において、昭和四四年二月ごろ「共産党宣言」(マルクス)、「空想より科学へ」(エンゲルス)を読み、そのいずれかの読後感をレポートして提出するよう求めたが、その際「夏休みに出そうと思つたが、大学受験の勉強ができないようにこの時期に出す。」と生徒に発言した。

(2)  担当の昭和四三年度三年生の政治経済の授業において、最近のフランス学生運動をとり上げてこれを肯定する内容の講義をし、さらにその考査において「フランス革命運動の背景とその原因について」という問題を出題した。

(3)  担当の昭和四四年度二年生の倫理社会の授業において、年度当初から二学期末までの間週二時間の授業時数のうち一時間は同校の図書館において課題研究を命じて生徒を放任し、指導監督を怠つた。

6担当の昭和四四年度二年生一、四、六、八、九、一〇組の倫理社会、同年度三年生の一、六組の政治経済について、成績評価にあたり、校内規定に違反して、(1)一学期に、考査を実施せず、(2)同学期に、生徒全員に一律六〇点と評定し、(3)同年七月ころ校長から右評価の仕方を是正するように指示されたにもかかわらず、二学期の倫理社会について再び全員一律六〇点と評定し、(4)三学期に再び右各科目について考査を実施しなかつた。

7控訴人の行つた教育は、次のとおりその職の信用を傷つけるものであつた。

(1) 控訴人は、生徒に対し大学へ進むことを断念させるような指導を行い、教師に対する期待と信頼に背いた。

(2) 昭和四五年三月六日開催の福岡県議会において伝習館高校の一部教師が生徒に対して偏向した政治的教育を行つていることが指摘された。

(3) 伝習館高校の父兄及び卒業生をもつて組織された伝習館を守る会は昭和四七年九月一日付「伝習館を守る」を作成のうえ地域住民に配布した。

(4) 西日本新聞昭和四五年五月一八日付夕刊は「引きさかれた教育」と題して伝習館高校における授業の実態として控訴人の授業を変つた授業として報じた。

(5) 朝日新聞昭和四五年六月二一日付朝刊は、控訴人の前年度一年間の授業を再現した記事を掲載した。

(6) 昭和四七年七月二四日付赤旗は控訴人の教育を「虚無と挑発の教育」と題して報じた。

8右1、2、3、5(1)、(2)、(3)の行為は、教育の政治的中立に違反する。

二  法令の適用

1右1、2の演劇パンフレット、伝習新聞への寄稿掲載について

学校教育法(以下「学教法」という。)四二条

高等学校学習指導要領(昭和三五年文部省告示九四号、以下「本件学習指導要領」という。)一章二節七款道徳教育

同三章一節特別教育活動一款目標

地公法三二条

2右3のうち配布ビラ記載内容及び討論内容について

学教法四二条

右3のうち勤務時間中のビラの作成、配布について

地公法三五条

右3のうち生徒を登校させて討論会を開催した点について

地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」という。)二三条五号

福岡県立高等学校学則(昭和三二年福岡県教育委員会規則一四号)五条六項

右3のうち校長の許可なく会議室を使用した点について

地教行法二三条二号

福岡県教育財産管理事務取扱規則(昭和三九年福岡県教育委員会規則七号)四、一四条

福岡県教育委員会事務決裁規程一三条

右3すべてについて

地公法三二条

3右4の教科書使用義務違反について

学教法二一、五一条

地公法三二条

4右5(1)のうちレポート提出の時期について

本件学習指導要領一章二節六款指導計画作成及び指導の一般方針1(1)、(3)

地公法三二条

右5(1)のうちこのような書籍のレポートを提出させた点について

教育基本法(以下「教基法」という。)八条

教育公務員特例法二一条の三

本件学習指導要領二章二節二款第二政治経済一目標(2)、(6)並びに三指導計画作成および指導上の留意事項(2)、(3)、(5)

地公法三二条

右5(2)のフランス学生運動の授業について

本件学習指導要領の当該規定

学教法四二条

地公法三二条

右5(3)の図書館における課題研究について

地公法三二条、三五条

5右6の考査不実施及び一律評価について

学教法施行規則二七、六五条

福岡県立高等学校学則八条

校内規定である生徒心得

地公法三二条

6右7の信用失墜行為について

地公法三三条

7右8の教育の政治的中立違反について

教基法八条

教育公務員特例法二一条の三

8右1ないし8について

地公法二九条一項一ないし三号

そこで、まず、右適用法令のうち、特に当事者間に争いのある本件学習指導要領の効力、教育の政治的中立及び教科書使用義務について判断し、ついで、本件処分事由について認定判断することとする。

第三  わが国の教育法制と本件学習指導要領の効力及び教育の政治的中立

一子どもの教育は、子どもにとつて必要不可欠のものであり、また共同社会にとつても欠くことのできないものである。そして、子どもの教育は、まず親によつて行われるものであるが、近代国家及び社会においては、子どもの教育は、教基法一条にあるように、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期することを目的とするものである。ところで、近代国家及び社会におけるこのような教育は、親ないし私的施設によつては対応しきれないものであるので、現代国家においては、主として国公立の学校を中心とする公教育制度によつて、直接的には教師によつて行われることになつている。

このように成長過程にある子どもに決定的な役割を果たす公教育としての普通教育ことにその内容及び方法について、親、国及び教師が深い関心を持つのは当然のことであり、これらが一致協力してこのような教育を行うべきである。しかしながら、本件で問題となつている普通教育における国と教師との関係についていえば、国は、国政の一部として子ども自身の利益のためあるいは国家及び社会の形成者としての子どもを成長させるため、公教育としての普通教育を設置し適切な教育政策を樹立実施すべきものであり、一方、教師には、子どもの教育は教師と子どもとの直接の人格的接触によりその個性に応じて行わなければならないという教育の理念ないし本質から、教育ことにその具体的内容及び方法について一定の範囲の自由裁量ないし自主性が認められるべきであり、その創意工夫が尊重されるべきであるので、国と教師の間に普通教育の内容及び方法について主張の対立が起ることのあるのは避けられないところであり、このことはわが国の戦後の教育制度の基本的重要問題の一つとなつている。

二そこで、右の点についての憲法の規定をみるに、憲法二六条は、一項において、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と定め、二項において、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」と定めているが、この規定は、子どもの教育についていえば、子どもは自己に対し教育を施すことを要求する権利を有し、親は子どもに対し普通教育を受けさせる義務を負い、国は普通教育の費用を負担すべきことを定めたものであつて、直接的に普通教育の内容及び方法を決定すべきものを定めたものではない。しかしながら、この規定は、普通教育についてその機会均等の確保と一定水準の維持がはかられるべき趣旨を含むものと解される。

次に、憲法二三条は、「学問の自由は、これを保障する。」と規定するが、これによつて直ちに普通教育における教師の完全な教授の自由を認めたものとはいゝ難く、前記の如く教育の理念ないし本質から、普通教育の教師にも一定の範囲の教授の自由が認められるが、普通教育の児童生徒は教授内容を批判する能力に乏しく、教師の影響力、支配力を受け易く、また、前記の普通教育の機会均等の確保と一定水準の維持の目的から、普通教育の教師の教授の自由が制限されることはやむをえないものである。もつとも、本件で問題となつている普通教育である高等学校教育は義務教育ではなく、高等学校三年生はその学年中に満一八歳に達するものであり、満一八歳以上になると選挙権の与えられる欧米諸国もあることを考えると、その批判力については相当程度のものが備わつているものと考えるべきである。

以上によれば、憲法は、国と教師とのいずれかのみに普通教育の内容及び方法に対する権能があると一義的に明示しているものではない。

三次に、その制定の経緯よりして、他の法令と矛盾するものでない限り、教育関係法令の解釈及び運用の理念ないし原理とされるべき教基法についてみることとする。

まず、教基法一〇条は、一項において、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」と定め、二項において、「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」と定めているが、この規定は、国の教育行政機関の行う行政教育関係法令の適用において特定的に命じていることを執行する場合を除き、その運用解釈において不当な支配となることがあり得るので、国の教育行政は教育の目的を遂行するため必要な諸条件の整備確立ことに教育の内容及び方法に介入するに当つては、前記の教育の理念ないし本質からの教師の教授の自由ないし自主性を尊重し、不当な支配となることのないようすべきことを定め、国の教育の内容及び方法に対する介入が不当な支配と認められるときは、その介入は違法なものとなることを定めたものというべきであるが、国が普通教育の内容及び方法について関与することを禁止したものとはいゝ難い。

更に、教基法八条は、一項において、「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。」と定め、二項において、「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」と定め、わが国の憲法が議会制民主々義をとつているので、国民の政治的教養が必要不可欠のものであることから、政治的教養教育を尊重すべきものとし、前記教基法一〇条において国の不当な支配による政治的中立の侵害を禁ずると共に、学校及び教師に対しても、教育において政治的活動をすることを禁じ、その政治的中立を求め、教師の教授の自由に制限を設けている。

四従つて、普通教育の内容及び方法に対する国及び教師の権能の間には、前記の憲法及び教基法の趣旨、その他の教育関係法制、教育の理念ないし本質等に照らし、子ども自身の利益及び子どもの成長に対する社会公共の利益のため、妥当な調整がはかられるべきであり、その際本件において問題となつているものに限つていえば(従つて、宗教教育、地方自治の原則等の問題は省略することとする。)、次の諸点を考慮すべきである。(1)前記のとおり普通教育の児童生徒は教授内容を批判する能力に乏しく、教師の影響力、支配力を受け易い(もつとも、高等学校三年生については批判力において相当のものが備わつていると解すべきことも前記のとおりである。)。(2)普通教育においては子どもの側に学校や教師を選択する余地が乏しく、普通教育の機会均等と一定水準を維持すべき要請がある。(3)前記のとおり教育の理念ないし本質から普通教育の教師にも一定の範囲の教授の自由ないし自主性が認められるべきであり、その教師はすべて教育職員免許法による免許を有する専門職である。(4)前記のとおり、国民の政治的教養は必要不可欠のものであるから、普通教育においてもこれを尊重すべきものである反面、普通教育において学校及び教師が政治的に中立であることが要請される。(5)戦前のわが国の教育が国家の強い支配の下で形式的画一的に流れ、時に軍国主義的又は極端な国家主義的傾向を帯びる面があつたことに対する反省をすると共に、戦後の議会制民主々義をとる現在の政党政治による国政上の意思決定には政治的に中立であるべき教育に政治的影響が深く入り込む危険があることを考え、その時々の政治状況にのみ迷わされて判断することなく、如何なる政治状況においても妥当な調整を考えるべきであり、国の教育の内容及び方法に対する不当な支配介入は許されず、その介入は抑制的であることが要請される。

五以上によつてみると、国及び教師の一方にのみ普通教育の内容及び方法を決定する権能があると解するのは相当ではなく、国も、教育の内容及び方法に対する権能を有し、不当な支配介入は違法となるにしても、教育の機会均等の確保と一定水準の維持という目的のため、前記の教師の自主性及びその資格を有する専門職であることを考慮して、必要かつ合理的と認められる範囲内において、かつその範囲に限つて教育の内容及び方法についての基準を設定しうるものと解すべきである。

更に、国は、不当な支配となることのないよう配慮しつつ、学校及び教師においてその教育の内容及び方法が政治的に中立であるよう規制することができるものと解するのが相当である。

六ところで、本件学習指導要領は、学教法四三条、一〇六条一項、同法施行規則五七条の二の委任に基づいて、文部大臣が、告示として、普通教育である高等学校の教育の内容及び方法についての基準を定めたもので、法規としての性質を有するものということができる。

本件学習指導要領は、おおよそ別紙六記載の目次のような構成になつており、その本件に関係のある部分は別紙六記載のとおりであるところ、その授権規定である右学教法四三条、一〇六条一項は、「高等学校の学科及び教科に関する事項は、前二条(高等学校の目的及び目標)に従い、監督庁(文部大臣)が、これを定める。」と規定しているが、この規定から明らかなように、その委任したものは、高等学校における教育の機会均等と一定水準の維持の目的のための基準であり、本件学習指導要領を定めるについて教育の政治的中立の観点を考慮してなされたものであることは認められるものの、本件学習指導要領は、教育の政治的中立の規制の基準をも定めたものとは解されない。そして、これについては、現行法上教基法八条、教育公務員特例法二一条の三、国家公務員法一〇二条、人事院規則一四―七によつて判断すべきものと解される(義務教育諸学校における教育の政治的中立に関する臨時措置法は義務教育でない本件の高等学校には直接には適用されない。)。

このことは、本件学習指導要領をみるに、その各科目ことに社会科の目標及び内容に直接的には教育の政治的中立の規制の基準というべきものは見当らず、また、一章二節六款指導計画作成および指導の一般方針の1(7)に「政治および宗教に関する事項の取り扱いについては、それぞれ教育基本法第八条および第九条の規定に基づき、適切に行なうよう配慮しなければならないこと。」と定め、倫理社会の指導計画作成および指導上の留意事項の(9)に「政治および宗教に関する事項の取り扱いについては、教育基本法第八条および第九条の規定に基づき、適切に行なうよう特に慎重な配慮をしなければならない。」と定め、政治経済の指導計画作成および指導上の留意事項の(5)に「政治に関する事項の取り扱いについては、教育基本法第八条の規定に基づき、適切に行なうよう特に慎重な配慮をしなければならない。」と定めているのも教育の政治的中立の規制の基準は教基法八条によるべきことを定めていると解されることからも明らかであり、更に、本件当時の教科用図書検定基準(昭和三三年文部省告示八六、一〇一号)の定める高等学校教科書検定は、その絶対条件を「1(教育の目的との一致)教育基本法に定める教育の目的および方針などに一致しており、これらに反するものはないか。また、学校教育法に定める当該学校の目的と一致しており、これに反するものはないか。2(教科の目標との一致)学習指導要領に定める当該教科の目標と一致しており、これに反するものはないか。3(立場の公正)政治や宗教について、特定の政党や特定の宗派にかたよつた思想・題材をとり、またこれによつて、その主義や信条を宣伝したり、あるいは非難したりしているようなところはないか。」と定めているが、これは、学習指導要領は政治的中立の規制の基準を含むとはいえないので、別に政治的中立の規制の観点を教科書検定の条件に定めていると解されることからも明らかである。

そこで、本件学習指導要領の効力について考えるに、その内容を通覧すると、高等学校教育における機会均等と一定水準の維持の目的のための教育の内容及び方法についての必要かつ合理的な大綱的基準を定めたものと認められ、法的拘束力を有するものということができるが、その適用に当つては、それが「要領」という名称であること、「大綱的基準」であるとされること、その項目の目標、内容、留意事項等の記載の仕方等から明らかなように、その項目を文理解釈して適用すべきものではなく、いわゆる学校制度的基準部分も含めて、その項目及びこれに関連する項目の趣旨に明白に違反するか否かをみるべきものと解するのが相当である。このことは、本件学習指導要領が、その後昭和四五年文部省告示二八一号及び昭和五三年同省告示一六三号により二回も全面改正されていることからみて、学習指導要領は相当柔軟な性格をもつものと解されることからも肯認できる。そして、右明白性の判定に当つては、(1)専門職である教師の自主性を充分に尊重すること、(2)教育の機会均等の確保と一定水準の維持という目的の範囲に限るべきであり、高等学校の目標の一つに学教法四二条三号に「社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、個性の確立につとめること」とあるように、高等学校教育においては価値観の多様性を認める必要もあるのであるから、不必要な画一化は避けること、(3)本件の如く懲戒処分規定として適用するには、処分事由とされる教育の内容及び方法が、本件学習指導要領を定めた前記目的及び学教法四一、四二条に定める高等学校の目的、目標の趣旨にも違反するか否かについてもみること、(4)前記のとおり本件学習指導要領は教育の政治的中立の規制の基準ではないこと等を考慮すべきである。

七次に、教育の政治的中立についてみるに、前記のとおり議会制民主々義の憲法を持つわが国において政治的教養教育が極めて重要なものであり、このことは戦前の政治教育が国家主義的なものに限られていたことへの反省にも基づくものでもある。そして、政治的教養とは、民主々義社会における主権者としての国民のそれであり、民主政治上の諸制度の知識、現実政治の理解力、公正な批判力、政治道徳、政治的信念等であるとされる。したがつて、国は勿論、学校又は教師が教育において政治的目的をもつて政治的行為をしてはならないことは、その生徒に対する影響力を考えると当然のことである。しかしながら、学校又は教師のする民主々義政治の教育にあたつて左右両翼の各種の政治思想、制度、国家等に及ぶことのあることは考えられるところであるから、教師ことに本件の如き社会科の教師の授業が左右両翼の政治思想等に及んだからといつて、政治的目的で政治的行為に出たものでない限り政治的中立に違反したものとすることのないように慎重に対処すべきである。されば、教基法八条二項もその禁止する政治的活動を特定の政党を支持し又はこれに反対するためのものに限り、更に、これをうけた教育公務員特例法二一条の三、国家公務員法一〇二条、人事院規則一四―七もその禁止する政治的活動を政治的目的のための政治的行為と定めて、学校及び教師がその規制を恐れて政治教育に消極的になることのないよう配慮しているのである。

第四  教科書使用義務

学教法二一条は、一項において、「小学校においては、文部大臣の検定を経た教科用図書又は文部大臣が著作の名義を有する教科用図書を使用しなければならない。」と定め、二項において、「前項の教科用図書以外の図書その他の教材で、有益適切なものは、これを使用することができる。」と定め、この規定は同法五一条により高等学校に準用されている。

右にいう教科書(文部大臣の検定又は著作した教科用図書)とは、教科用図書検定規則、教科用図書検定基準、教科書の発行に関する臨時措置法二条一項のいうように教科課程の構成に応じて組織排列された教科の教材として教授用に供せられる生徒用図書をいうものと解してよいが、その内容は、右規則及び基準によれば、本件学習指導要領の目標及び内容によつて編成されている。

ところで、普通教育においてはその機会均等の確保と一定水準の維持という目的があり、この観点から普通教育である高等学校教育の内容として本件学習指導要領が定められていることは、既に述べたとおりであるところ、右のとおり教科書は本件学習指導要領の目標及び内容によつて編成されているのであるから、これを使用することは、右目的に対して有効なものというべきであり、更に、教授技術上も教科書を使用して授業をすることは、教師及び生徒の双方にとつて極めて有効である。

したがつて、前記学教法二一条一項、五一条は、その文理解釈からもそうであるように、高等学校教育において教師は教科書を使用する義務があることを定めたものと解するのが相当である。

控訴人は、文部大臣の定めた学習指導要領によつて検定を経た教科書の使用義務を認めることは、本来否定さるべき戦前のような国定教科書制度による中央集権的画一化による教育の内容の統制であり、国の教育内容に対する不当な支配であると主張する。しかしながら、本件学習指導要領の教科ことに社会科の目標及び内容に不当な支配というべきものは認められず、前記のとおり本件当時の教科用図書検定基準によれば、検定は、(1)教基法の目的、方針、学教法の高等学校教育の目的及び目標に一致すること、(2)本件学習指導要領の教科の目標に一致していること、(3)政治、宗教についての取扱い方が公正であることを基本条件としてなされるもので、右検定基準自体には不当な支配というべきものはない。もし検定手続において国の不当な支配と目されるものがあれば、教基法一〇条一項に違反するものとして是正さるべきものであるから、右主張の理由で、前記の普通教育における一定水準の維持等の目的や教授技術上の有効性からする教科書使用義務がないとすることはできない。

そこで、如何なる場合に教科書を使用したということができるかという教科書の使用形態についてみるに、当事者双方はそれぞれその使用形態を挙げて主張するが、教科書使用義務を認めるのは、前記のように教育の一定水準の維持等という目的と教授技術上の有効性にあるのであるから、教科書のあるべき使用形態としては、授業に教科書を持参させ、原則としてその内容の全部について教科書に対応して授業することをいうものと解するのが相当である。なお、被控訴人は前記教科書の発行に関する臨時措置法二条一項の規定から教科書が主たる教材として使用されることを要すると主張するところ、同規定は同法の教科書の定義を定めたものに過ぎないので、右規定を教科書の使用義務の内容として採用するのは相当でないが、通常の教科書の内容と本件学習指導要領に定められた授業時間を見ると、右教科書を使用しての授業でその教科・科目の授業時間の大半を要するものと認められるので、教科書の使用形態を前記のとおり解する限り、教科書を主たる教材として使用する義務があることになる。

そして、右教科書を使用しての授業において、教科書の棒読みの如きは教授技術上相当でないことは勿論であり、教師においてその方法に創意工夫の求められることはいうまでもない。

このように、教科書を使用するとは、原則としてその内容の全部について授業することをいうものであるが、このことをなした上、その間に、教師において、適宜、本件学習指導要領の教科、科目の目標及び内容に従つて、教科書を直接使用することなく、学問的見地に立つた反対説や他の教材を用いての授業をすることも許されると解するのが相当である。このことは、学教法二一条二項がいわゆる補助教材の使用を認め、本件学習指導要領が社会の各科目の指導計画作成および指導上の留意事項において適宜他の教材の利用、読書、社会調査、見学、討議の学習活動の利用が望まれるとしている(本件で取上げられた科目についていえば、倫理社会(10)、政治経済(7)、日本史(6)、地理B(6)、(7))ことからも明らかである。

教科書使用義務を以上のように解すれば、戦前の国定教科書中心主義に対する反省からの学習活動の多様化も図ることができ、教科書使用義務を認めても、教師の自主性をそこなうことなく、教育に対する不当な支配であるということはなく、教師に教授方法の創意工夫の余地が充分存するものということができる。

第五  控訴人に対する処分事由についての認定判断

一  演劇パンフレット及び伝習新聞への寄稿掲載(第二、一、1、2)について

1控訴人が、昭和四三、四四年度に伝習館高校の特別教育活動である演劇部主任として、同部所属の生徒の指導助言に当つていたところ、昭和四三年一〇月五日及び六日公演の「雨は涙か溜め息か」なる演劇のパンフレット(乙第六号証)に別紙一の「夢幻の呪詛」(以下(1)の文章という。)と題する一文を寄稿掲載させ、これは同校生徒の大多数に配布されたこと、昭和四四年度に伝習館高校の特別教育活動である新聞部の顧問であつたが、同部発行の伝習新聞第一〇〇号(昭和四四年四月九日発行、乙第二号証)に別紙二の「老いているであろう新入生諸君」(以下(2)の文章という。)と題する一文を、同第一〇三号(昭和四四年六月三日発行、乙第三号証)に別紙三の「想像力が権力を奪う」(以下(3)の文章という。)と題する一文を寄稿掲載させたことは、当事者間に争いがない。

被控訴人は、右(1)ないし(3)の各文章は、学教法四二条の定める高等学校教育の目標、本件学習指導要領一章二節七款道徳教育及び同三章一節特別教育活動一款目標に違反すると主張する。

2そこで、まず、「夢幻の呪詛」と題する(1)の文章についてみるに、前出甲第五四号証、原審証人島添隆子、同村上由美子、同加藤治雄の各証言、原審における控訴人本人尋問の結果によれば、「雨は涙か溜め息か」という演劇は、伝習館高校演劇部が春秋二回校内で行うことになつている秋の公演で、生徒である部員が脚本選定、作成、演出、配役、出演等をきめて自主的に行うものであり、(1)の文章の掲載されたパンフレットも、部員の中のパンフレット委員によつて作成され、(1)の文章もその委員の依頼により控訴人が寄稿して掲載されたもので、公演見物者である伝習館高校生、同教師、一般市民等八〇〇名位に配布されたものであるが、右演劇は、武田泰淳作の「ひかりごけ」という題の紀行文及び戯曲を素材として生徒が合作創作したものであるが、この戯曲は、北海道で軍の徴用船が難破し船長以下四人が雪に閉ざされた辺境で飢餓状況に陥り次々に死ぬ人の肉を食つて船長が生残るという一幕とこの船長が裁かれる法廷でのやりとりの一幕の二幕物となつていることを認めることができる。

そして、右のパンフレットに書かれた(1)の文章は、控訴人は、演劇論であるというところ、高等学校生徒のみならず一般成人が読んでもその趣旨を理解することが困難というより殆んど理解不可能であり、このような文章を主として高等学校生徒向のものとして書くことに問題があると思われるが、右(1)の文章が、被控訴人の主張するように、革命を慫慂し、反民主々義ないし反法治主義的思想の鼓吹、啓発を図つたものであるとまでは認められず、前記の如き内容の演劇のパンフレットとして読むとき、不可解ながら右演劇の説明であるとも理解されるので、その教育的見地からの当否からして、控訴人の教師としての適格性が問題とされるにしても、右(1)の文章の寄稿掲載行為を被控訴人主張の前記各規定に違反するとするのは相当でない。

3次に、「老いているであろう新入生諸君」と題する(2)の文章についてみるに、この文章は、控訴人もいうように、新入生に対し高等学校生活に対し甘い幻想と認識を捨てて高等学校生活の現実を直視し、主体的に生き抜くよう呼びかけたものと解されないではなく、新入生徒に対するこのような呼びかけをすることも考えられるので、その教育的当否の論はあるにしても、右(2)の文章の寄稿掲載行為を前記各規定に違反するとするのは相当でない。

4更に、「想像力が権力を奪う」と題する(3)の文章についてみるに、この文章は、控訴人自身も認める如く、高等学校生徒のみならず一般成人が読んでも難解であり、このような文章を高等学校生徒向のものとして書くこと自体に問題があると思われるところ、被控訴人の主張するように、革命を慫慂し、反民主々義ないし反法治主義的思想の鼓吹、啓発をはかるといつた理論ないし論理のあるものとはいえないが、読む者に法律を破ることや暴力、破壊を奨励していると思わせるものを含んでいると認められる。このことは、右文章の末尾にこの文章が一九六八年五月のフランスの学生革命の際の学生の落書の言葉で構成されている旨記載されているにしても同様である。したがつて、右(3)の文章の寄稿掲載行為は、被控訴人主張の本件学習指導要領の項目に該当することを問うまでもなく、高等学校教育の目標を定めた学教法四二条に違反するというべきである。

二  建国記念の日に関する事実(第二、一、3)について

1控訴人が、昭和四五年二月一〇日伝習館高校教諭数名と放課後である勤務時間中に同校図書館において「国家幻想の破砕を」と題する別紙四記載のビラを作成、印刷し、同日午後四時ごろ同校内において生徒らに配布したことは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、控訴人が、休業日である翌一一日校長の許可を受けることなく、同校会議室において同校箱田、今岡、石橋保一各教諭と共に、同校生徒約五〇名が参加しての建国記念の日についての討論会を開催したが、右討論会においては、建国記念の日の歴史的評価について同校教諭半田隆夫が作成した資料を配布して検討したほか、控訴人が国家意識について講演し、これらについて参加者が質疑討論した。このような討論会は同校において昭和四二年ごろから毎年行われ、右昭和四五年は同校教諭有志の自主的な活動を福岡県高教組の伝習館分会が支援して行われたものであり、教諭及び生徒の参加も強制的なものではなく自主的なものであつたことを認めることができる。

2以下、控訴人の右各行為の被控訴人主張の法令違反の点についてみるに、まず、被控訴人は、右配布ビラ記載内容及び討論会内容が、いたずらに法律無視、反国家ないし反権力という特定思想の鼓吹を図つたものとして学教法四二条所定の高等学校の目標に違反すると主張する。

そこで、検討するに、建国記念の日については昭和四一年の制定前は勿論その後も歴史学的見地等から問題が提起され議論されていたことは公知の事実であり、これについて討論会を開催すること自体をとがめる必要なく、前記認定以上の討論会内容の主張も立証もなく、右認定の討論会内容及び別紙四のビラ記載内容程度では、被控訴人主張のように特定思想の鼓吹を図つたものとして学教法四二条に違反するとはいえず、被控訴人の右主張は理由がない。

3次に、控訴人の右の勤務時間中にビラを作成、配布した行為についてみるに、放課後とはいえ勤務時間中の右行為は地公法三五条に一応違反するといえるが、〈証拠〉によれば、伝習館高校を含む福岡県立高等学校の大部分においては放課後の教諭の校内における利用の仕方は各人の自由意志にまかされる運営がなされていたことが認められるので、その間の行為内容について責任を問うことはともかく、控訴人の放課後の勤務時間中の右行為の責任を問うのは相当でない。なお、被控訴人は、控訴人の右行為が地公法五五条の二、六項の勤務時間中の組合活動禁止にも違反すると主張するが、前記認定事実によれば、控訴人の右行為が組合活動であるとはいえない。

4更に、被控訴人は、控訴人が右の休業日である建国記念の日に生徒を登校させたとして、地教行法二三条五号、福岡県立高等学校学則五条六項に違反すると主張するが、この点については前記認定のとおり生徒の登校参加は自主的なもので控訴人が強制したものと認められないので、この主張は理由がない。

5次に、控訴人の校長の許可を受けることなく同校会議室を使用した行為についてみるに、地教行法二三条二号、福岡県教育財産管理事務取扱規則四条、一四条、福岡県教育委員会事務決裁規程一三条(乙第八三号証)の規定によれば、本件のように福岡県教育委員会の所管する学校施設を一月をこえない期間本来の目的以外である前記のような討論会に使用する場合は学校長の許可を受けなければならないことになつているので、控訴人の右無許可使用は、右法令に違反するものである。もつとも、原審証人箱田尚敬、同石橋保一、同塩山雅之の各証言によれば、本件処分前までは、本件のように学内者である教諭が休日に学校施設を本来の目的以外でも校長の許可なく使用するという実態であつたことを認めることができるので、控訴人の右無許可使用の違反の程度はそれなりに評価すべきである。

三  教科書使用義務違反(第二、一、4)について

控訴人が、昭和四三年及び四四年度に倫理社会(二年生、四三年度は組名不明であるが四つの組、四四年度は一、四、六、八、九、一〇組)及び政治経済(三年生、四三年度は組名不明であるが二つの組、四四年度は一、六組)の授業を担当し、使用が決定された教科書(倫理社会の四三、四四年度は実教出版株式会社発行「倫理社会」(乙第四三号証)、政治経済の昭和四三年度は教育図書株式会社発行「政治経済」、四四年度は一橋出版株式会社発行「政治経済」(乙第四一号証))があつたことは、当事者間に争いがない。

そこで、控訴人の教科書の使用状況を中心とする授業状況についてみる。

まず、昭和四三年度及び四四年度の倫理社会については、〈証拠〉によれば次の事実を認めることができる。

控訴人は、昭和四三年度及び四四年度共倫理社会の授業を各組週二時間担当していたものであるが、高等学校における倫理社会を含む社会科は自由な批判主体を形成することを目指すという批判科学であつて、その対象は教科書の内容にとどまらず生活全般であると考え、右授業の最初においてこのことを話し、教科書の目次を説明し、教科書は読めば理解できるので読んでおくようにと言つたのみで、その後の授業でも生徒が教科書を読んだかを確かめることはせず、以後の授業は、教科書を用いてその内容を説明するといつたことはなく、授業内容は、その時々の新聞の記事や控訴人が適宜取上げる思想、思想史、思想家や歴史的、社会的な例えば家族制度、国家、天皇制、部落問題といつたことや、文学等の文芸作品を題材にしたものの講義であつて、その授業と教科書の部分との対応について説明することはなかつた。そのため一学期の授業の当初はともかく、その後は生徒も教科書を持参しなくなつた。

以上の事実を認めることができる。

右認定事実によれば、右授業内容が結果的に前記教科書の内容に相当しあるいは関連していたとしても、また、本件学習指導要領の定める倫理社会の内容が、現在全体として学術的に一つの体系となつているとは認められないとしても、前記第四に説示した教科書の使用義務形態からみて、控訴人の右認定の昭和四三年度及び四四年度の倫理社会の授業における教科書の使用状況は、教科書をほとんど持参させず、教科書に対応して授業したものとはいえないので、教科書使用義務に違反したものというべきである。

次に、政治経済の授業における教科書使用状況についてみるに、この点の控訴人の陳述関係以外の証拠としては、被控訴人が処分事由としていない昭和四二年度について、(1)原審証人成清知子の証言、(2)同末次清美の証言、処分事由としている昭和四三年度について、(3)被控訴人の職員が伝習館高校の生徒の供述を記載した報告書である乙第八二号証中の3、8の生徒の供述記載があるが、昭和四四年度については証拠がない。そして、(1)、(2)の各証人は共に三年六組の生徒であつたものであるが、成清証人は資料集を中心に使い教科書はほとんど使わなかつたといゝ、末次証人は資料集を多く使つたが教科書も使つたといゝ、共に具体性に乏しく、(3)の証拠の生徒の供述の記載も教科書を使用しなかつたという簡単な記載のみである。そして、控訴人は、その陳述書である甲第五四号証及び原審における本人尋問において、昭和四二、四三、四四年度共教科書と資料集を併用したと述べており、控訴人の加わつた座談会記事を掲載した雑誌朝日ジャーナル(乙第二九号証)中の控訴人の教科書を使用しなかつた旨の発言記載も、具体性が乏しく、前記のとおり教科書不使用の認められる倫理社会のことか政治経済のことか両者のことか判然としない。結局控訴人の昭和四三年度及び四四年度の政治経済の授業における教科書使用状況は判然とせず、したがつて、教科書を使用しなかつたと認めるに足る証拠はない。

四  「共産党宣言」等読後感レポート提出(第二、一、5、(1))について

控訴人が、昭和四三年度三年生の政治経済の授業において「共産党宣言」(マルクス)、「空想より科学へ」(エンゲルス)を読み、そのいずれかの読後感をレポートして提出するよう求めたことは、当事者間に争いがない。

まず、被控訴人は、右の如き図書を読ませその読後感をレポートとして提出を求めることが本件学習指導要領に違反すると主張するが、右図書は、本件学習指導要領の政治経済の内容に関連する社会科学の古典的著作であり、いわゆる左翼文献であるからといつて高等学校の授業で取扱つてはならぬとするのは相当でなく、本件学習指導要領にもこれを禁ずる規定はない。

なお、教基法八条、教育公務員特例法二一条の二に違反するとの主張については、第二、一、8の処分事由において判断することとする。

次に、被控訴人は、控訴人が右レポートの提出を求めたのは昭和四四年二月の三年生の大学受験勉強の時期であつたと主張するが、これにそう証拠としては、前記の被控訴人の職員が伝習館高校の生徒の供述を記載した報告書である乙第八二号証の3の黒木某女なる生徒の供述記載のみであるが、同号証の8野口幸なる生徒の供述には昭和四三年七月頃との記載があり、更に、〈証拠〉によれば、同校の校内規定である生徒心得には三年生の最後の考査は一月下旬となつていることが認められることから、その後は授業はなかつたと認められること等から、前記乙第八二号証の3の生徒の供述は採用し難く、その他右時期が被控訴人主張の時期であり、控訴人に右により生徒の大学受験勉強妨害の意図があつたと認めるに足る証拠はない。

したがつて、この処分事由は理由がない。

五  フランス学生運動の授業(第二、一、5、(2))について

控訴人が、昭和四三年度三年生の政治経済の授業において最近のフランス学生運動(昭和四三年五月のいわゆる五月革命の原動力となつたとされるもの。)について講義をし、考査において右について「フランス革命運動の背景とその原因について」という問題を出したことは、当事者間に争いがない。

被控訴人は、右行為を本件学習指導要領、学教法四二条に違反すると主張するが、右講義及び出題は、項目的には本件学習指導要領の政治経済の内容の範囲内であり、控訴人が、右運動を肯定したかどうか等の講義内容の主張、立証がないので、右認定の事実をもつて右法令に違反するとはいえず、この処分事由は理由がない。

六  図書館における課題研究(第二、一、5、(3))について

控訴人が、昭和四四年度二年生(一、四、六、八、九、一〇組)の倫理社会の各組週二時間の授業を担当し、その時期の点は別として、内週一時間は同校の図書館において課題研究を命じたことは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、控訴人は、右課題研究を昭和四一年度から昭和四三年度までにもしたが、その際は希望者に授業時間外に研究させていたところ、昭和四四年度は六月中旬ごろから一〇月中旬ごろまで右のとおり授業時間に研究させたものであり、右課題研究とは、控訴人あるいは生徒が選んだアメリカ合衆国の黒人問題、実存主義と虚無主義といつたテーマについて、テーマ別に一グループ五、六人のグループをつくり、グループ毎にそのテーマについて週一時間図書館で資料を探したり、図書を読んだりして研究するというものであつた。控訴人は、右生徒の研究中の図書館に行き指導することにしていたが、控訴人が図書館に来ずに、図書館勤務の職員である北原美穂が騒ぐ生徒を注意することがあつた。その研究結果は発表することにしていたのに、どのテーマについてもまとめの段階に至らず、前記認定の昭和四四年末の被控訴人の立入調査に始まる騒動もあつて、発表もなかつたことを認めることができ、〈証拠中〉右認定に反する部分は採用できない。

控訴人の陳述書である甲第五四号証によれば、控訴人は、右のグループをつくつての課題研究は、生徒の要望もあり、すべての生徒が自主的に研究する体験を持つことは重要なことであると考えてなしたものであるというのであり、一応その意図を理解できないものでもないが、右陳述書において控訴人も認めるように、必ずしも右時間に授業をするよりも有効であるとはいえず、すべての生徒が意欲と力量をもつてこれに取組んだといえない状態であつたものであつたのに、控訴人が図書館に来ずに生徒を放置したこともあつたというのであるから、一、二時間はともかく約三箇月にわたる右課題研究について控訴人が授業時間を教育活動に専念する義務に違反するものとして、学教法二八条六項、五一条、地公法三五条の責任を問われてもやむをえないものである。

七  考査不実施及び一律評価(第二、一、6)について

1〈証拠〉によれば、控訴人が、昭和四四年度二年生一、四、六、八、九、一〇組(週二時間)の倫理社会、三年生一、六組(週三時間)の政治経済を担当し、(1)一学期に、各科目について中間考査及び期末考査を実施せず、これにかえて「現代社会科教育批判―はたして批判教科たりえているか」の課題についてレポートを提出させ、生徒全員に一律六〇点と評定し、(2)二学期には各科目について中間考査は実施せず、期末考査は実施したが、右二年生の倫理社会について再び生徒全員に一律六〇点と評定し、右三年生の政治経済については五段階法により一律でない評定をし、(3)三学期には各科目について考査を実施しなかつたが、年度成績の評価をし五段階法により一律でない評定をしたことを認めることができる。

〈証拠〉によれば、内田校長が、昭和四四年一学期末控訴人及び山口教諭の一律評価を知り、同年二学期の職員会議において一般的に一律評価をしないように注意したことが認められるが、右証拠によれば、右注意は正式な議題でなかつたことを認めることができるので、控訴人がその際右注意を了解したとは認定できず、その他右事実を認めるに足る証拠はない。しかしながら右証拠によれば、伝習館高校の教務部長であつた三小田英治は、昭和四四年二学期始頃内田校長から右一律評価について控訴人及び山口教諭に注意するよう依頼されて一旦は断つたものの、その頃右両名に対し一律評価しないように注意したことを認めることができる。更に、原審証人石橋敏男の証言によれば、伝習館高校の教頭であつた同人も、右三小田教務部長から控訴人の右考査不実施及び一律評価のことを聞き、昭和四四年二学期に控訴人にそういうことのないよう注意したことを認めることができる。

2被控訴人は、右認定の考査不実施、一律評価は、学教法施行規則二七、六五条、福岡県立高等学校学則(昭和三三年福岡県教育委員会規則一四号)八条の「生徒の学習成績の判定のための評価については学習指導要領に示されている教科及び科目の目標を基準として、校長が定める。」旨の規定に基づいて伝習館高校の校長が定めた校内規定である生徒心得(乙第七号証の生徒手帳記載のもの。)五条学習成績評価規定及び学校教育法施行規則二七、六五条に違反すると主張し、控訴人は、当時右校内規定の如き事項については校務運営の最高決議機関である職員会議にその決定権があり、右校内規定は、校長の定めた規定でないばかりでなく、学校と生徒との関係を規律するものであつて、教師を拘束するものではなく、考査及び成績評価は教師の自主的判断に委されていたと主張するので、判断する。

成程、〈証拠〉によれば、当時伝習館高校を含む大部分の福岡県立高等学校において事実上校務運営を職員会議が最高決議機関として決定するという校務運営規定を有し、校長がその決定を承認するという校務運営がなされており、右生徒心得を記載した生徒手帳も毎年右職員会議で定められたものであることを認めることができるところ、〈証拠〉によれば、右職員会議で定められたものを校長である同人も承認して生徒手帳としたものであることを認めることができるので結局前記学則八条により右校内規定である生徒心得は校長の定めたものということができ、これが生徒を規律する以上教師を拘束しないということはない。また、伝習館高校を含む福岡県立高等学校において音楽、美術、保健体育、家庭科等の一斉考査の不適当な科目はともかく、その他の科目の考査(後記の中間考査及び三年生三学期の考査を除く。)が教師の自主性に委せられていたと認めるに足る証拠はない。

3そして、右校内規定である生徒心得五条三項は、「一斉考査は定期的に概ね左の五期に実施する。五月下旬、七月中旬、一〇月中旬、一二月中旬、三月中旬(三学期は一月下旬)」と定めているが、〈証拠〉によれば、当時伝習館高校を含む福岡県立高等学校においては週二時間という少単位等の科目については五月下旬、一〇月中旬のいわゆる中間考査は実施しないことが往々あり、三年生の三学期一月下旬の考査も同様であつたことを認めることができるので、被控訴人もその責任を問うていると認められない中間考査の不実施及び三年生の三学期の考査の不実施はともかく、前記認定の控訴人の一学期の倫理社会、政治経済の期末考査及び三学期の二年生の倫理社会の考査の各不実施について右生徒心得違反としての責任を免れない。なお、控訴人は、前記一学期においてレポートを提出させたことをもつて考査の不実施の責任を免れると主張するようであるが、それによつて生徒心得五条一項にいう提出物という成績評価の資料がえられ、成績評価に支障がないにしても、考査をすること自体に、教師及び生徒のいずれにとつても教育上の有効性があるのであるから、考査不実施の責任は免れない。

次に、右生徒心得五条二項は、「各科目毎に五点法で評定するが、学期成績は各教科一〇〇点法による。」と定めており、前記のとおり控訴人が一学期に各科目について、二学期に倫理社会について各一律に評定したことは、年度成績は右五点法により評定したとしても、右規定に違反するのみならず、控訴人はその陳述書(甲第五四号証)で種々述べるが、教師及び生徒にとつて教育上も不相当であることはいうまでもない。

八  信用失墜行為(第二、一、7)について

被控訴人は、処分事由の一つとして、控訴人の行つた教育は、第二、一、7のとおりその職の信用を傷つけるものであつたと主張する。ところで、この処分事由は、原審の当初提出された被控訴人の答弁書には処分事由として記載されておらず、被控訴人の原審最終準備書面にも処分事由の項にはその記載がなく総論の項において記載されているので、本件処分の妥当性判定の一事情とも解されないでもないためか、原判決はこれについて事実摘示及び判断をしていない。しかし、被控訴人は当審においてこれを処分事由とすることを主張するので、以下これについて判断することとする。

1まず、被控訴人は、控訴人は、生徒に対し大学へ進むことを断念させるような指導を行い、教師に対する期待と信頼に背いたとする。

〈証拠〉によれば、伝習館高校は、旧立花藩の藩校の名を継承し、旧制中学以来福岡県下でも古い歴史をもつ学校の一つであり、新制高校として発足後も名門校あるいは大学受験における受験校としてのある程度の実績を有していたが、大学進学率の増加と受験競争の激化の中で受験校として次第にふるわなくなつた。そこで、本件処分頃までに、約八〇パーセントの大学進学率もあり、同窓会幹部等の要求や周辺高校の受験体制強化に刺激され、伝習館高校でも、受験教育体制が強化され、控訴人の勤務当時、受験教育体制として、(A)準正課という主要科目中心の授業時間前の補習授業、(B)英語と数学の時間の能力別クラス編成、(C)普通科における文系進学、理系進学、就職コース別クラス編成、(D)夏休み、冬休み中の補習、(E)受験用模擬テストの実施があり、このような受験教育体制は、同時に各教科、科目における各教師の授業の内容、方法も受験向のものとなる傾向をもたらしたことを認めることができる。

このような受験教育体制については、昨今の大学進学状況からやむをえない、あるいは当然だとする意見やこのような体制のもたらす生徒間の不平等な取扱い、これによる生徒の差別意識、受験に必要のない教科、科目の切捨て等の弊害を説きこれに批判的な意見のあることは公知の事実であり、高等学校制度ひいては学校制度全般の問題でもあり、極端にならない限りそのいずれにも一理あるものと思われるところ、前出甲第五四号証(陳述書)、成立に争いのない乙第二九号証(「朝日ジャーナル」の座談会記事)、原審における控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人は、社会科教諭として右のような受験教育体制に批判的であつたことを認めることができるが、その批判の具体的内容、真意等は右記載、陳述の表現が難解で理解し難いところがあるものの、右証拠によれば、その批判の内容は、生徒の一部の要求する受験向き教育を拒否し、伝習館高校からは誰一人大学に合格しなくてもかまわないのだという考えの極端なものであつたことを認めることができる。

したがつて、控訴人の右の点において地公法三三条違反の責を問われてもやむをえないというべきである。

2次に、被控訴人は、昭和四五年三月六日開催の福岡県議会において伝習館高校の一部教師が生徒に対して偏向した政治的教育を行つていることが指摘されたとする。〈証拠〉によれば、右事実を認めることができるが、後記のとおり前記第二、一、8の処分事由が認められない以上、右事実を処分事由とするのは相当でない。

3更に、被控訴人は、西日本新聞昭和四五年五月一八日付夕刊(乙第二七号証)が「引きさかれた教育」と題して伝習館高校における授業の実態について控訴人らの授業を変わつた授業として報じているとする。〈証拠〉によれば、右事実を認めることができ、前記第一の本件処分に至る経緯等で認定した事実に照らすと、右記事の授業の実態なるものは主として被控訴人関係者から取材したものと認められるが、本件の他の処分事由の当否を問えば足り、右報道を処分事由とするのは相当でない。

4なお、被控訴人は昭和四七年九月一日付「伝習館を守る」なる文書(甲第二八号証)の配布、朝日新聞昭和四五年六月二一日付朝刊(乙第二八号証)、昭和四七年七月二四日付赤旗(乙第六七号証)の各報道を処分事由として挙げるが、右配布、報道は本件処分後のことであつて、処分事由とするのは相当でない。

九  教育の政治的中立違反(第二、一、8)について

被控訴人は、原審及び当審の当初においては、控訴人の教育が本件学習指導要領等に違反し、かつ偏向教育であると主張していたのであるが、偏向教育とは極めてあいまいな表現であり、教育の政治的中立違反の趣旨と解されるのに、その旨の主張をせず、教育の政治的中立違反を規制すべき法令も摘示していなかつたので、当審において被控訴人に釈明を求めたところ、前記第二、一、8のとおり処分事由の主張をするに至つた。

そこで、判断するに、被控訴人は、前記第二、一、1、2、3、5(1)、(2)、(3)の控訴人の行為が教育の政治的中立に違反すると主張するが、前記第三、七に説示したとおり教育の政治的中立違反とは、政治的目的で政治的行為をすることをいうものであるところ、前記第二、一、1、2、3、5(1)、(2)、(3)の主張事実及びこれについて第五、一、二、四ないし六において認定した事実は、その職務である授業その他生徒に対する影響力のあるものではあるが、控訴人に如何なる政治的目的があつたかについて、被控訴人においてその主張がなく、その立証もしないので、控訴人の教育の政治的中立違反の処分事由は理由がない。

一〇  処分事由に対する法令の適用

1地公法は、二七条三項において「職員は、この法律で定める事由による場合でなければ、懲戒処分を受けることがない。」とし、職員の身分保障をはかるため懲戒処分事由を限定しているが、その処分事由としては二九条一項において「職員が左の各号の一に該当する場合においては、これに対し懲戒処分として戒告、減給、停職又は免職の処分をすることができる。」とし、地公法等の法律又はこれに基く条例、規則もしくは規程に違反した場合(一号)、職務上の義務に違反し、又は職務を怠つた場合(二号)、全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあつた場合(三号)を列挙しているところ、また、同法は職員の服務義務として、三二条が法令等及び上司の職務上の命令に従う義務を、三三条が信用を失墜する行為の避止義務を、三五条が職務に専念する義務をそれぞれ規定している。

2そして、前記認定判断によると、被控訴人主張の本件各処分事由は、そのうち次のものが、次のとおり懲戒処分事由に該当することとなる。

第二、一、2のうち「想像力が権力を奪う」と題する一文の寄稿掲載が、学教法四二条に違反し、第二、一、3のうち建国記念日の日に校長の許可なく校舎を使用した点が、地教行法二三条、福岡県教育財産管理事務取扱規則四条、一四条、福岡県教育委員会事務決裁規程一三条に違反し、第二、一、4のうち倫理社会の教科書使用義務違反が学校法二一、五一条に違反し、したがつて、以上いずれも地公法三二条に違反し、第二、一、5、(3)の課題研究を命じて生徒を放任した点が学教法二八条六項、五一条、地公法三五条に違反し、第二、一、6の考査不実施及び一律評価が前記判断の範囲で学教法施行規則二七、六五条、福岡県立高等学校学則八条、生徒心得、地公法三二条に違反し、第二、一、7のうち大学受験教育批判行為が地公法三三条に違反するものであり、以上によつて、控訴人には地公法二九条一項一、二号の懲戒処分事由が存することになる。

第六  本件処分の違法性について

一  本件処分の手続の違法の主張について

当裁判所は、本件処分の手続に違法性はなかつたものと判断するが、その理由は、原判決説示(B一一五頁六行目からB一一八頁一二行目まで。ただし、B一一五頁一五行目の「適用があるが」を「適用があるか」と、末行「前説」を「学説」と各改める。)のとおりであるから、これを引用する。

二  本件処分の懲戒権濫用の主張について

1地公法二九条一項は前記のとおり「職員が左の各号の一に該当する場合においては、これに対し懲戒処分として戒告、減給、停職又は免職の処分をすることができる。」として、四種の懲戒処分を定めているが、同法は、職員に同法所定の懲戒事由がある場合、懲戒権者が懲戒処分を行うかどうか、これを行うときいかなる処分を選択すべきかを決するについて、公正であるべきこと(二七条一項)、平等取扱いの原則(一三条)及び不利益取扱いの禁止(五六条)に違反してはならないことを定めている。そして、その他の点については具体的な基準を設けておらず、懲戒権者が懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該職員の右行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の職員及び社会に与える影響等、諸般の事情を総合して行う判断に委ねられ、その裁量に任されているものと解される。したがつて、右の裁量はもとより恣意にわたることをえないものであるが、懲戒権者が右裁量権の行使としてした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして、違法とならないものというべきである。

2そこで、右見地に立つて、本件についてみると、被控訴人主張の控訴人に対する処分事由のうち懲戒処分事由に該当するものは、前記第五のとおりであるが、建国記念の日の校舎使用は著しい事由とはいえないものの、教科書使用義務違反はほとんど教科書を使用しなかつたものであり、課題研究を命じて生徒を放任した点、考査不実施及び一律評価(注意を受けた後も一律評価をしている。)と共に、職務上の義務に違反し、職務を怠つたものとしては程度の高いものであり、また、大学受験教育批判行為も度を過ぎたものというべきである。

右の控訴人の処分事由とされる行為の性質、態様、影響等に照らすと、被控訴人主張の処分事由の中に理由のないものがある等の事情や免職処分の重大性を考慮しても、本件処分が社会観念上著しく妥当を欠き裁量権の範囲を逸脱し濫用したものということはできない。

第七  結論

以上によれば、本件処分は相当であつて、控訴人の本訴請求は理由がなく、棄却すべきものであるから、これと結論を同じくする原判決は相当であつて、本件控訴は、理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担について、民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(矢頭直哉 諸江田鶴雄 日高千之)

別紙一(原判決別紙一と同じ。) 夢幻の呪詛 顧問 茅嶋洋一〈省略〉

別紙二(原判決別紙二と同じ。) 老いているであろう“新入生”諸君! 茅嶋洋一先生〈省略〉

別紙三(原判決別紙三と同じ。)“想像力が権力を奪う” 茅嶋洋一〈省略〉

別紙四(原判決別紙四と同じ。別紙五は欠。)〈省略〉

別紙六高等学校 学習指導要領(昭和三五年文部省告示第九四号)〈省略〉

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